Meeting Chilean Arpilleras

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希望を語るアルピジェラ

 アルピジェラは、もともと民衆の暮らしの様子を描くチリの伝統的なタペストリーでした。一九七三年にピノチェトによる独裁体制が始まると、抑圧状況におかれたポブラシオン(貧困地区)を中心に、アルピジェラ作りの新しい動きがあらわれます。貧困地区の女性たちは、じゃがいもや小麦粉の袋を裏地とし、古着や使い古しの端切れも用いながら、自分たち自身の経験を描きはじめます。政治犯の嫌疑をかけられ行方不明になった家族について訴えるものや、貧しい生活のなかでの助け合いを描くものなど、いずれも日々の生活と経験に根ざしたメッセージに満ちています。

 アルピジェラは海外の支援団体に販売され、作り手のわずかながらの生活の足しとなってきました。また、同じ問題や苦しみをかかえる者同士が集まってアルピジェラ作りをおこなうことは、言葉にできない経験や感情をわかちあうための重要な営みでもありました。

 本展覧会で展示される作品は、独裁体制が終わりに向かおうとする一九八〇年代後半から一九九〇年にかけて作成されており、過去の政治暴力を忘れまいとする意志や、新しい時代への希望を感じさせるものとなっています。素朴な人形の縫いつけられた色鮮やかで愛らしい壁かけのなかに、社会・政治への要求や家族への深い思いが込められているさまは、アルピジェラを見る私たち自身の経験や感情にも訴えかけてくることでしょう。


アルピジェラのカテゴリー

 本展で展示される作品は、その主題から九つのカテゴリーに分けられます。以下でそれぞれの概略を述べていきます。

1.「共同なべ」

 共同なべとはポブラシオンでの炊き出しのことで、貧しさのため家庭単位では日々の食事を十分に準備できない人びとのために行われています。会費制で運営されているものや教会によって設立されるものなど、そのあり方は多様であり、支援団体や私的な寄付に支えられていることもしばしばです。屋外に調理場があることも多く、たき火やプロパンガスを使ったものなど、いろいろな形態のなべが見られます。

2.「ポブラシオンの日常」

 アルピジェラの作り手の多くが暮らしていた大衆居住地区の日々の様子を描く作品群です。軍政下の自由主義経済体制のもと、ポブラシオンの住人たちが勤めていた工場の多くは倒産を余儀なくされ、長期的な失業と貧困が大きな問題として浮上してきます。住民達は、時にはPOJHなどの失業対策プログラムのもとで、あるいは自分自身の力で、どうにか地域のための仕事を見つけようとしていきました。一方で、苦境にもめげず明るく交流しあう人びとの様子も描かれています。

3.「アルピジェラの作業所」

 ポブラシオンでは、人びとがたがいに助けあい、生活に必要な作業をこなし、労働のためのスキルを身につけ、あるいは情報交換を行うためのさまざまなワークショップが開かれていました。アルピジェラによく描かれる主題です。とくにこの作品群は、アルピジェラを作る人びとをアルピジェラで描くという、ちょっとした遊び心のうかがえるものといえるでしょう。

4.「政治行動」

 抑圧的な体制に抗して立ち上がった人びとの行動を描いている作品群です。その中心にあるのは、拷問など政治囚に対する人権侵害を告発していくものです。また、独裁体制に荷担した者たちへの恩赦に反対するメッセージを表明する作品もあります。熾烈な政治暴力の後に安易に「和解」を語ることの難しさが、ここにあらわれているとも言えるでしょう。「孤独なクエカ」に典型的に見られるような象徴的パフォーマンス、あるいはデモンストレーションなど、直接暴力を用いない行動形態が多いのも印象的です。

5.「政治的抑圧」

 1973年から1990年までのチリは、政治的・社会的な表現や活動が激しく抑圧される状況にありました。辛苦に耐えかねて立ち上がった人びとのデモは暴力的に鎮圧されました。また政府を批判するメッセージを少しでも発したり、政治行動に関わったと疑われた人は、ある日突然姿を消していくのでした。そして多くの人びとが、後に遺体となって発見されました。

6.「行方不明者はどこに?」

この作品群は内容としては「政治行動」の中に含まれるとも言えますが、アルピジェラの主題としては数多く見られるもので、それ自体の位置を確立しています。「¿Dónde están?」はスペイン語で「彼らはどこにいる?」という意味で、行方不明者についての情報を求める家族や近親者の行動において繰り返し用いられた標語です。AFDDの略称で知られる「拘留者・行方不明者の家族の会」は中心となった団体の一つで、本展の作品のいくつかもAFDDのメンバーによって製作されています。

7.「孤独なクエカ」

 チリの非暴力抵抗行動のなかで、おそらくもっとも印象的で、もっとも知られているもののひとつです。「クエカ」はチリの伝統的なダンスで、色鮮やかな衣装をつけた男女のペアによって踊られます。軍政期に家族が行方不明となった女性たちは、このクエカをたった一人で踊りはじめました。色彩のない白黒の衣装をまとい、夫や家族の写真を胸に留めての踊りは、政治的なパフォーマンスであるとともに、いなくなった大事な人を思う行為でもあったのです。英国のミュージシャンであるスティングは、1990年、この行動を歌った曲を作っています。

8.「追悼・記念」

 軍政期に命を落としたり行方不明になった人びとを、蝋燭をともして想起し慰霊する人びとを描いています。政治抵抗のメッセージは明白に示されてはいませんが、犠牲者個人個人を回想する行為は、二度と同じ事が繰り返されないようにという思いをも生み出します。陰惨な行いがあったことを忘れまいとする意志は、必ずしも過去に縛られていることを意味するのではなく、現在および未来のビジョンへとつながっているのです。

9.「独裁体制の終わり」

 大統領としての任期継続をめぐる1988年の国民投票で敗れたピノチェトは、1990年3月に大統領職を辞しました。これによってチリの独裁体制に一つの終止符が打たれました。ここに展示されている二つのアルピジェラは、反対票投票の呼びかけと、反ピノチェトの声の勝利の様子を描き出しています。

 (酒井朋子 東北学院大学)